佐故龍平・山中源兵衛 対談 2018

2020.11.10  トークイベント 佐故龍平

佐故龍平展覧会「積層の景致2020」を2020年11月17日(火)から11月29日(日)まで開催いたします。
展覧会開催に先駆け、佐故龍平と山中源兵衛が2018年に行った対談をご紹介いたします。
佐故龍平と杢目金の出会いから、独自の手法を生み出した今日に至るまでを是非ご一読ください。

 

佐故龍平展覧会「積層の景致2020」観覧について

本展覧会では、新型コロナウィルス感染拡大防止の観点から展覧会をご覧いただく方法として、清課堂ギャラリーでの観覧(完全予約制)とオンライン上でご覧いただくオンライン展覧会を同時開催いたします。

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– 佐故龍平・山中源兵衛 対談 2018 –

積層した金属を叩き延ばす過程で、各金属の色の違いから生まれる文様を「杢目金(もくめがね)」と言います。江戸時代に考案された日本独自のこの金属加工技術で美しい作品を作り出している佐故龍平。伝統的な技法を独自に追求し、 金属の重ね方や彫り込みにさらなる工夫を凝らすことで、これまでにない造形の花器、茶器、香炉、酒器などを創作。その作品は国内外で高く評価されています。若手金工家として注目を集めている佐故さんに、金工作家を目指す若い人たちに励みになるような話を伺いました。

 

山中源兵衛(以下 山中)

まず大学で金工を選択した理由を教えてください。

佐故龍平(以下 佐故)

広島私立大学デザイン工芸科には金工と染色と漆があって、金工を選択したのは三年生の時ですね。当時はバイクに乗っていたので、溶接技術が身に付いてバイクのパーツいじりにも役立つかな、みたいな感じでした(笑)。その時は鍛金をどうやってつくるのかも、まだ知らなかったんです。

山中 

その時から金工に触れて、大学院まで行かれたんですよね。

佐故 

やりだしてから楽しくなりました。一年二年はあんまりちゃんと大学にも行ってなかったんですが、金工を始めてから真面目に大学に行くようになりました。自分に合っていたんだと思います。子どもの頃から工作が好きで、実際に素材に触れて自分で手を動かしてつくるのが楽しかった。でも三年生から始めたので、卒業制作まで時間がぜんぜんない。それで大学院まで行かないと何もできないまま終わってしまうと思ったんです。

山中 

生涯の伴侶ともいえる「杢目金」に出会ったのはいつですか?

佐故 

金工を始めた年の秋、日本伝統工芸展で杢目金の作品を見た時です。面白い技法だなと思いました。杢目金の技法についての列品解説もあって興味を持ちました。

山中 

大学院で金工を研究しても、多くの場合は卒業したら普通に就職したり、続けたいけれど諦めざるを得ない人がすごく多い。その中で、どのように金工作家として生きていこうという決意をされたのでしょう?

佐故 

決意というほどのことではないんですが、大学の卒業制作で杢目金の作品を作ったんです。そしたら割といい感じにつくれて、大学が買い上げてくれた。で、ちょっと味をしめまして(笑)、大学院でも続けたいなと思った。でも大学院の修了制作で、きちんと研究したわけでもないのに実験的な杢目金をやろうと思って大失敗しました。要は確固たる技術もないのにカッコだけつけていた。これを大学最後の集大成にするのは、あまりにも恥ずかしいと思って、それで先生に無理を言って、一年留年というかたちで修了制作を作り直すことにしたんです。

しっかり実験と研究を繰り返して、その一年でもっと深くやりたいという思いが強くなりました。まだまだいろいろな可能性がある、もっと新しい杢目金の表現ができると感じ始めていて、それでさらにもう一年、研究生として在籍させてもらったんです。その最後の一年で大学の設備を利用して必要な当金をつくったり、銅の色揚げ用の鍋をつくったり、独立に必要な道具とかを極力作っておきました。現代美術への憧れみたいなのもあって、どういう方向に進むべきか悩んだ時期もありましたが、結局、大学には8年も通ったことになります

山中 

将来のための投資ですね。

佐故 

改めて取り組んだ修了制作の作品が日本伝統工芸展で初入選して、最後の1年は次に出す作品を作りながら独立後の拠点も探しました。広島ではいい場所が見つからなかったんですけど、岡山の実家近くの鉄工所にいいスペースがあった。実家に帰れば家賃もかからないので、地元に戻ることにしました。

山中 

近い将来に独立することをイメージしながら準備していたわけですね。たとえばミュージシャンや漫画家を目指している人とかも同じだと思いますが、生きていくためにアルバイトとかしなくちゃいけない。それと自分の表現活動との折り合いをどこかでつけないといけない。そのストレスっていうのはありましたか?

佐故 

地元に帰ってすぐは、お金も道具も満足になかった。それでとりあえずお金を貯めようと半年くらいはアルバイトばっかりして、少しずつ道具を買い揃えて、その半年間は制作はほとんどできなかった。でも僕は運がよかった。日本伝統工芸展で賞をいただいた作品が売れて、それ以前の作品もいくつか売れたんです。それでちょっとだけまとまったお金ができたので、バイトをやめることができました。それから展覧会のオファーも入りました。最初はグループ展でしたが、そのためにすごい数の作品を作って、それがまたポツポツ売れて、どうにかやってこれた感じです。

山中 

成功する人ってそもそも運がいいのかもしれない。

佐故 

本当に運がよかった。でもチャンスがきた時に運をつかめるような準備、それはちゃんとしておかないとダメだと思う。完全に全部が運だけじゃない。これまでにも、アルバイトでもしなきゃもう続けられないかも、ってことが実は何度もありました。でも、そういうピンチの時に手を差し伸べてくれる人がいました。助けてくれる人がたくさんいて、なんとか続けられた感じなんです。

山中 

私も企業経営のことでインタビューされることがあって、伝統工芸の世界で経営がうまく長く続くヒントを教えて下さいみたいなことをよく聞かれるんだけど、私も同じように、運がいいんですよって答えています(笑)。で、困ったときに助けてくれる人もいる。それが先代の頃にお世話になった人とかで、先祖とか父親が徳を積んできたことが今になって貯金としておろせた感じだったりすることもある。友人が手を差し伸べてくれることもある。作家さんでも同じことが言えるのかもしれない。今まで徳を積んでこられたというか、そんなに悪いことしてないとか(笑)。

佐故 

そうですね。いい作品を作りたいっていうような熱意に共感してくれたり応援してくださったりする方が多いような気がします。

 

 

山中 

今、もがき苦しんでいる若い人たちが夢を掴むヒントみたいなものはありますか?

佐故 

僕もまだもがいている真っ只中なんで(笑)。

山中 

私が佐故さんの作品を見てすごいなって思うのは、軸がぶれていないところ。これをやりたいっていう意思がズドンと一本突き抜けている感じなんです。あれもこれもやってみたいっていうのが、ぜんぜん感じられない。

佐故 

僕は好奇心があんまりないほうで、自分が楽しいこととかつくりたいことはあるけど、あれもこれもやってみたいっていうのはないほうですね。ぶれないって言うといい感じに聞こえますけど、僕は単純に不器用というか、いろんなことを並行してやろうと思ってもできないんですよ(笑)。作家活動をする人って、好奇心旺盛な人は多いと思いますけど、やっぱり一つのことにのめり込んでやる人が多いんじゃないですかね。

山中 

佐故さんの目から見た今の日本の金属工芸はどうですか?日本工芸会にも参加していますけど、いまの潮流とか制作環境とか、直感的にどう感じていますか?

佐故 

最近は僕も外国の方に作品を購入していただくことが増えましたが、日本の金工はもうちょっと評価されてもいいんじゃないかと思います。特に日本人に。ロンドンでお世話になっているギャラリストも、日本の金工は日本人にすごく過小評価されていると言っていて、僕もそう思っているんです。昔は金工っていったら工芸のなかでも花形だった。東京藝術大学でも6つある工芸コースのうち、陶芸、漆芸、染色以外の3つは金工で、彫金、鍛金、鋳金に分かれている。すごく手間もかかるし技術的にもすごくハードルが高いのに、それに見合った評価が得られていない。最近は少しずつよくはなってきているような感じはしますが、まだまだですね。日本は陶芸がすごく強いので、ギャラリーなどの売り方も陶芸が中心になっている。

山中 

日本の金工の歴史を振り返えると、個人が自分の感性と表現で金工を花開かせたのは桃山時代。あの時代にすごくいい作品がたくさん生まれた。それまでも、いいものはたくさんあったけど、室町時代中期から個人名での表現活動が始まって、桃山になってパーっと花開いた。すごく躍動感があって個性的なものがどんどん生まれて、手間と時間をかけて作ったものが評価された。でも、それが明治に差し掛かった頃から大きく崩れだす。輸出工芸の影響で、その頃に評価のロジックが、だいぶ欧州寄りに傾いたんじゃかと思う。日本のもともとの物差しが、そこでだいぶ転換した。

そのことについて、染織プロデューサーで大先輩の清水忠さんが「すべて明治政府と岡倉天心のせいだ」って言っていた。日本の工芸をいかに欧州に売り込むかっていうセールスで、彼が日本の伝統文化はこういうものだと西洋の価値観に基づいて解りやすく翻訳して、それが日本人の中にも浸透してしまった。それで従来の日本の工芸の価値観との断絶が起きてしまった気がする。それ以降、時間や手間、もしくはそこに命をかけてきたっていう点が、残念ながら評価されなくなってしまった。

佐故 

僕の作品もどれも手間がかかって凝っているって理解してもらわないと、価格も理解していただけない。それは最低限必要で、その上で手間だけでない、芸術としての価値っていうところも見てもらいたいですね。

山中 

若い作家がうちで展覧会をする時に、彼らにしてみたらすごく手間もかかってるし材料費もかかっている。でも残念ながら今はそれが作品の価値には直接的には結びつかない。だから、どこで作品の価値をあげていくかが課題だねっていう話をずっとしてる。そんな中で、見方が変わったなって思うのは、ここ数年話題となっている超絶技巧。これは今までの欧州基準のロジックとまた違う振れ方。こういうことを日本人がワイワイ言い出してるのは何故なんでしょう。

佐故 

日本は流行りものに弱いというか、何かが流行るとみんなそこに動く。またそれも面白いところですけど。

山中 

しかもその振り子のスピードがはやい。5年たったらもう飽きてる。

佐故 

そうなんですよね。だからブームになるのも逆に怖い。僕が大学出て作家活動を始めた頃って不況の真っ只中だった。高い作品を売れないから、10年くらいはクラフトブームで、日常の暮らしの器みたいなのが主流だった。本屋に行くと丁寧に暮らすみたいな感じの雑誌ばっかり売ってた。作家も漆だったら細かい技法を施すんじゃなくて、さっと塗っただけのセンスのいい日常漆器でクラフトフェアに出品したり、金工も手間をかけるとクラフトフェアで売れるような値段じゃなくなってしまうから、スプーンやフォーク、簡単なトレーとか、大学でもそういうのを作る学生ばっかりだった時期もあったらしい。でも最近はちょっと落ち着いてきたみたいですね。

あるギャラリーの人が言ってました。「昔もそういう民芸みたいなのが流行った時期があった。若い頃にそういうのを買っていた人が齢をとって、お金が稼げるようになると、もっといいものを買いたくなる。だからクラフトブームの後には、必ずもう少しハイエンドないい工芸品が売れる時がくる」って。今、そういう感じになっているのかもしれませんね。

山中 

確かに暮らしの器を買い集めた人が今度はもっと凝ったものが欲しくなるっていうのはある。だけど、やっぱり世界的にも歴史的にも、本当にいいものをチョイスして、またそれを後押しするような人って、ピラミッドの上の方の人でしかない。残念ながら今日本でそういう人が買うのは腕時計、車、現代美術。一千万円の腕時計は買うけど、100万円の工芸品は買わない。

たまに異業種交流会なんかに行くと、この国の経済をまわしている経営者や研究者が芸術に対して興味が全くない。びっくりするくらい。書にも工芸品にも触れたこともない。明治時代は、政財界のトップ同士が話をするのは茶室で、プレゼントするのは茶道具。そんな時代だったからこそ千家十職が生まれた。そういう世界は今の日本にはなくなってしまいましたね。

ところで佐故さんは山の中に居を構えていらっしゃって、制作する環境にかなり気を使っている気がしますが、こんなふうにして工房づくりしたらいいんじゃないかという指針みたいなものがあれば教えてください。私は「整理整頓せんとあかんぞ」と、昔よく師匠に言われました。

佐故 

整理整頓は基本中の基本です。僕はきれい好きだとは自分では思わないですけど、工房を見に来た人から、ちゃんと整理整頓してますねって言われます。でもそれは当たり前のことなんです。金工の場合、当金だけでも50本以上ありますし、金づちでも30本ほど。僕は少ない方ですが、やすりとか小さい道具もいれたら何百となる。一個の作品をつくるのにいろんな道具を使うので、もし片付いてなかったら、それを探すだけでもすごく時間がかかる。ちらかっていたら、落とした時に傷がついたりもする。だから効率よく美しくつくるには、整理整頓は必要最低限のこと。そもそもきれいな場所からじゃないと美しいものはできないと思います。ぐちゃぐちゃなところでは心も荒んでしまう。いいものをつくっている方の工房って、どこも美しいです。

 

 

山中 

次の世代の育成とかを考えたことあります?

佐故 

まだ考えたことないです。ここ5年でやっと杢目金の技法も思うようにできるようになったところなので。

山中 

私が5年くらい前に見に行った佐故さんの展覧会、ビビッとくるものがあった。まずテクニック。金属を取り扱う能力がすごかったと思うけど、さらに洗練された完成度の高さを感じた。あとバランス感覚がすごくいい人だなって。小さな茶壺だったと思うけど、素材とそれを表現するための杢目金の模様がうまく流れてて、ひとつの宇宙感のようなものが表現されていた。「あ、佐故龍平、できあがったな」みたいな感じがした。

佐故 

独立してからも失敗がすごく多くて、こういうのが作りたいと思っても技術が足りないっていう状態がずっと続いていました。それが30代半ばくらいから、技術的なところがだいぶクリアできてきて、作りたいって思っていたものができるようになってきた。自分の考えていることと自分の技術が合致してきた。工芸はテクニックが必要で、発想や感性だけではできないとうことが、今、40歳くらいになってやっとわかってきたという感じはしています。

 

展覧会の詳細については 佐故龍平 展覧会 「積層の景致2020」 (清課堂 Arts & Antiques GENEI)をご覧ください。