対談:荻野NAO之 × 中島智「亡霊としての芸術」

2016.05.08  トークイベント 展覧会 荻野NAO之

2016年4月、KYOTOGRAPHIE(京都国際写真祭)のサテライトイベント『KG+』の参加展覧会として、荻野NAO之写真展『閒 会』(まかい)を、清課堂にて開催しました。展覧会期間中には、さまざまなテーマのもとゲストを迎え、荻野NAO之氏とのトークイベントを全5回開催。そこで繰り広げられた話題を振り返り、荻野NAO之という作家の思考や、その根底にある世界に迫ります。

第4回目のゲストは、芸術人類学者であり造形作家の、中島智(なかじま さとし)氏。「リアル」と「リアリティ」や、「表象」としてイメージを覆い隠す「亡霊」の存在──作品が生まれるのは、人が知覚しえない世界だった。

 

荻野NAO之 × 中島智

 

行為そのものから意味が生まれていく

荻野NAO之(以下 荻野)

第4回目の今日は、芸術人類学者であり造形作家の、中島智さんにお越しいただきました。東京からわざわざ、ありがとうございます。よろしくお願いします。

中島 智(以下 中島)

よろしくお願いします。

荻野 

さっそくですが、中島さんに聞いてみたいお話があるんです。中島さんは昔、研究の一環で、コートジボワール北部の先住民“セヌフォ族”の暮らしを間近で見た経験があるそうで。

中島 

僕が大学を卒業して間もない頃、博物館で、セヌフォ族が儀式で使う仮面を見たんです。もう、その瞬間に感動してしまって。美術の枠組みを超えてつくられたがゆえに、あふれ出るオーラのようなものがすごかった。あまりの衝撃で、すぐに「これをつくっている人たちに会わなきゃいけない」と思いました。

でも、いざ行こうとすると、現地の情報が何もない。とにかく近くまで行ってみないと手がかりも見つからないと思って、すぐにコートジボワールを目指しました。非常食や、泥水をろ過して飲用水にする道具など、いろいろ準備して日本を飛び出したんです。いざというときのために、遺書を書いて友人に託したりもしたんですよ(笑)。

荻野 

大学を卒業したばかりの若者が、遺書を書くなんて、すさまじいですね。

中島 

しかし、コートジボワールの最大都市アビジャンに着くと、ビザの関係で足止めをくらってしまったんです。当時僕は、研究所などにも所属していない、フリーの研究者みたいなものでしたから、協力してくれる人もなかなかいなくて。そのままアビジャンのホテルに、数日間滞在することになります。

そのまましばらくのあいだ、なす術もなくホテルで過ごしていると、ジャズコンサートの張り紙をみつけたんです。興味が湧いたし、なにより夜の時間が暇で仕方なかったので、行ってみたくなりました。ただ、当時はちょうど儀式の準備期間。その儀式には人間の脳みそが必要で、狙っている人がいるから、絶対に夜は外に出るなと言われていて……。

荻野 

人間の脳みそ……!

中島 

だけど、そのときの僕は退屈なのが我慢できなくて、出かけてしまいました(笑)。すると、そのジャズコンサートには運命の出会いが待っていた。昔、京都に住んでいたという、コートジボワールの映画監督に出会ったんです。

荻野 

お客さんとして、その映画監督がコンサートに来ていたんですか?

中島 

そうなんです。向こうから「日本人ですか?」と、日本語で話しかけてきてくれて。「私は日本でいろいろな人にお世話になったから、日本人のあなたの力になりたい」と言ってくれました。

その人は、映画監督以外に、首相や大臣など、国内で力を持つ人たちのスピーチトレーナーのようなことをやっていたんです。要は、政治家たちの演出家。コートジボワールの映画市場は、それほど大きなものではないので、そういう仕事もしていたんですね。だから、いろいろな人脈もあった。そのおかげで、僕のビザもすぐにおりました(笑)。しかも、紹介してもらった大臣が、セヌフォ族出身の人だったので、セヌフォ族にもすぐに会いにいけることになって。本当に幸運でしたね。

荻野 

いろいろな幸運も重なって、セヌフォ族に会えたんですね。実際に会ってみて、どうでしたか?

中島 

まず、美術観が変わりましたね。アフリカの美術を目の当たりにしたことで、それまでよりも相対的に、世界のアートを見られるようになった。いまは、ヨーロッパのアートが非常に大きな力を持っているように思いますが、じつはとてもローカルなものなんです。学校でも、ヨーロッパアートの枠組みを中心に学ぶことが一般的になっていますよね。でも、決して世界の中心というわけではない。セヌフォ族との出会いをきっかけに、僕自身がこれまでの枠組みにとらわれることがなくなりました。

 

儀式に現れる本質

荻野 

研究としては、何か成果みたいなものがあったんですか?

中島 

一応、造形の研究として行ったんだけど……結局、仮面とか彫刻っていうのは、儀式のなかにあるものですよね。だから、儀式も見たんです。

儀式を理解するうえで、僕自身に美術制作の経験があることが、とても役立ちました。制作経験がない人が、仮面や彫刻を見ると、まず意味を見出そうとするんです。「これは何を表現しているのか」ということ。だけど、僕の制作経験のなかでは、最初から意味があることなんてなかった。制作のプロセスのなかで、初めて意味が生まれてくるんです。だから、作者が作品をつくるのではなく、作品が、作者を更新していく。同じように、儀式も、行為そのものが重要。僕自身の制作経験と、民族の儀式には、そういう似た感覚がありました。

荻野 

そのまま、しばらくセヌフォ族と一緒に暮らしてみようとか思わなかったんですか?

中島 

じつは、秘密結社に入れと、誘われたんですよ。仲間になって、森のなかで一ヶ月過ごしたら、俺達が仮面をかぶって、いろいろな秘密を教えにいくから、と。それをやれば、シャーマンとしてお祭りに参加できるようになると言われました。だけど、僕は入らなかった。なぜかというと、そうやって隠されていることって、意外とたいしたことないんです(笑)。儀式の表面に現れていることのほうが、本質に近いんですよね。

たとえば、友達が外国の民族とコンタクトをとっていたとき、「お前には特別に、最高の秘密を教えてやる」って言われたみたいで。それで教えられたのは、「あの建物は、母ちゃんに隠れて、男たちが秘密で集まる場所なんだ」ということ。彼らにとっては、それが大切な秘密なんでしょうけど、僕たちが知りたいのは、そういうことじゃない。儀式を見ていれば、もっと本質的な部分でわかることがたくさんあります。

荻野 

秘密の価値観が違うんですね。

中島 

いまの話でいうと、結局、儀式の構造が、女性へのコンプレックスがもとになっているんです。だから、男を母ちゃんから引き離して、真の男になる、みたいな。

荻野 

でも、中島さんのご友人が秘密を教えてもらえたということは、その民族内でも、もちろん秘密を知っている人がいるわけで。女の人にばれたくない、という理由を知ってもなお、集まるための場所や儀式は、彼らにとっては神聖なものに変わりないんですよね。

中島 

そうです。やっぱり、象徴として神話と結びついているので。セヌフォの儀式にも、いろいろ面白いものがあります。たとえば、それぞれ個人の祭壇があって、そこには人形が置かれている。彼らにとっての一週間は6日間で、そのうち1日は、祭壇に鳥の血を捧げる日なんです。そうすると、鳥と大地の力が結びついて、住んでいる人々が元気になる。生命力が強くなるとのこと。

僕、村に入るときに、象徴的に、一回殺されたんですよ。まず、薬草が入った水を飲まされて、そのあとに鳩の肝臓を炙って食べる。薬草で僕は一度殺された。その後、大地の力を蓄えた鳩の肝を食べたことで、新しい命が宿ったということなんだそうです。つまり、不浄なものを村に入れないために、一度生まれ変わる必要があった。なんだか、肝って不思議ですよね。頑張るときによく言う「ガッツ」も、英語で「はらわた」という意味ですし。肝に銘じるとか、肝を冷やすとか、慣用句もいろいろあります。肝が、人間の芯みたいな部分をあらわすという認識は、世界共通なんでしょうね。

 

「リアル」と「リアリティ」

荻野 

今回のトークのテーマ『亡霊としての芸術』は、中島さんが書かれた論文が元になっています。亡霊は、芸術にとってどういうものなのでしょうか。

中島 

僕は、「良い亡霊」と「悪い亡霊」がいると思っています。でも、世の中には、どうしても悪い亡霊ばかりあふれている。悪い亡霊っていうのは、いわゆる、何かを再現したイメージなんです。つまり「表象」。現在の瞬間に知覚している事物ではないということ。

表象としてのイメージは、そもそも何かを覆い隠すためのヴェールの役割をもっているんです。たとえば、自分の死について考えたくないから、“幽霊”のイメージを使って、“死”が自分ではない他者にとってのできごとだと思うようにしています。自分の死を直視しないためにつくられたイメージが、幽霊だということなんです。だから表象は、「リアリティ」であり、「リアル」ではない。

荻野 

なるほど。現実 “っぽい” ものを表す「リアリティ」であって、現実そのものである「リアル」とは、似ても似つかないんですね。

中島 

リアルもリアリティも、それぞれいろいろなレベルがあるなかで、例を考えてみます。リアルっていうのは、認識し得ないものなんです。たとえば、イタコさんは、何者かを自分の身体に憑依させて、声を伝えることができますね。このときイタコさん自身は、意識を消失している状態にある。完全に、自分ではない何者かとして、言葉を発します。儀式が終わってからは、もちろんそのことは覚えていない。それくらい、自分の意識をなくしているんです。完全な、無意識状態ですね。

芸術においても、似たようなことがあります。一人で黙々と何かと向き合って、作品が生まれます。その過程で、一種のトランス状態の「変性意識状態」に入ることがある。そうなると、作家の意図しないところで、何者かに作らされたような感覚に陥るんです。もちろん、できあがった作品について作家にたずねても、理由やコンセプトみたいなものは出てきません。だから、誰もわからないし、共感できないんですね。これが、「リアル」です。まるで、裂け目からあふれ出てきたようなものが生であり、リアルなんです。

だから、アーティストが「こういう意図で作品をつくった」と話している場合は、人々に作品について伝えるための、サービス用のリアリティであることが多い。これはある意味仕方のないことでもあって。たとえ作者がリアルな状況下で作品を生み出したとしても、いざつくり終えて作品を目の当たりにすると、「僕はこういう意図でつくったんだな」と、理由をあと付けしてしまうんです。

荻野 

実際にタイトルやステートメントなんて、どうしてもあと付けになってしまいますからね。僕自身、写真のタイトルは最後に決まりますし。ステートメントも、選び終えた写真たちを見てからイメージします。でも、写真に変更が生じると、今度はそのステートメントに合わせて写真を選んでいる自分もいて、もうどっちなんだかわからなくなってします。

中島 

でも、展覧会としては、そのほうが最終的にまとまりが出て、わかりやすい形になりますよね。

 

蔓延するリアリティ

荻野 

無意識っていうことに関連して、右脳と左脳の話を思い出しました。右脳が感覚、左脳が論理を、それぞれつかさどっていますよね。現代社会では、倫理的な思考を求められる場面が多くて、感覚を使う機会が少ない。先ほど中島さんのお話に出てきた“裂け目”っていうのは、僕にとっては、論理が感覚を封じ込めている状態に亀裂が生じて、感覚の部分がにょきっとあふれ出てくるイメージです。

僕にとっての芸術活動では、バランスをとるのが非常に難しい。展示のタイトル『閒 会』(まかい)も、陰と陽のあいだで、バランスをとりたいという思いが込められています。陽の力が強くなっている現代社会で、うまく、“間”の部分を見つけたいんです。だから、論理と感覚も、両方が同じくらい出てきてくれるのが理想。でも、こうやってしゃべっている時点で、僕は倫理的に話そうとしているし、リアリティにしかならないんですけどね。

中島 

右脳と左脳についての、面白い話がありまして。右脳と左脳がそれぞれ論理と感覚をつかさどっているとはいえ、ふたつの脳はつながっています。だから、普段は情報も行き来していて、互いの脳の情報を合わせて思考している。でも、左右の脳をつないでいる「脳梁」(のうりょう)という神経を切断すると、右脳だけで認識した情報は、言語化できなくなってしまうそうなんです。たとえば、左目(右脳)だけに何かを見せてから、何を見たのか聞いても、答えられない。でも、また左目だけの状態で「このなかからさっき見たものを選んでください」と言うと、ちゃんと選べるんです。言葉にはできないけれど、しっかりと認識している。

でも、脳がつながっているいないにかかわらず、左脳にはやっかいともいえる機能があります。質問をされると、必ず答えを出そうとしてしまうんです。つまり、情報や根拠がなくても、理由をつくりだしてしまう。これは、先ほど挙げた、アーティストが理由をあと付けすることにも関係しています。結局、左脳があとから言語化していくなかで、一貫性を求めるんです。たとえば、恋愛をしているとき。最初はまったく気になってもいなかった人のことを、何かがきっかけで好きになってしまうなんてことをよく聞きますよね。そのとき、左脳は「出会ったときからじつは気になっていた」って、思い込んじゃうんです。ストーリーまでつくってしまう。前後関係が欲しいんですよね。だから、アーティストが作品をつくったときも「最初から意図していた」と、勘違いします。だから、世の中にはどうしても、リアリティが蔓延してしまうんです。

 

自立した作品

中島 

今回の荻野さんの展示を見て、僕が抱いた印象をぜひお伝えしたくて。まず、場所について。僕は、展示には大きくふたつのやり方があると思っています。場所は関係なしに、どこにでも展示できるやり方と、その場所ならではの展示をするやり方。今回の荻野さんの展示は、後者に近いですよね。会場に寄り添っているというか。

荻野 

僕は来年、ベルギーのギャラリーで展示をすることになっているのですが、さっそく頭を抱えているんです。光をどうやって作ろうかと。僕がいまやっている写真にとっては、展示するときの光がとても重要な要素になっているので。光をうまく取り入れられないと、立体感を出せなくなってしまいます。

中島 

そうやって悩んだ場合、作品のために場所をつくるというか、空間を変えてしまうタイプもいますよね。一方で、その場所に合った方法を見出して展示をするやりかたもある。荻野さんは、どちらにされることが多いタイプですか?

荻野 

空間を変えてもいいと言われれば、変える可能性もあるとは思います。ただ、この作品に関しては、持っていける気がしているんですよ。でも、ヨーロッパに持っていくうえで気をつけないといけないのが、宗教的なこと。すぐに、キリストや悪魔に結び付けられてしまう恐れがありますからね。それが悪いことだと言うつもりは決してありませんけど、作品の意味が大きく変わってしまうので、そこは慎重にやらなければと思います。

今回の展示でも、壁にかける位置を数センチ上げるだけで、すごく宗教的に見えることがあって。反対に、数センチ下げるだけで、途端に俗人的に見えてしまったりするんです。だから、どちらにも見えないよう、程よい“間”を見つけるために、何度も位置を調整しました。

作家自身がメディアになる

中島 

今回の荻野さんの写真には、どこか浮遊感を感じます。視覚が多元的になっている。ひとつの視覚ではとらえることができず、一点に着地することがないんです。その感じが、すごく良いなと思って。きっと、ピントがしっかりと合った、クリアな写真だと、「過去にあったもの」という印象が強まってしまうと思うんですよ。だけど、ある程度ボケが入ってイメージ化されることで、逆に現在性があると感じました。

荻野 

人間って、どうしても「脳」でものを見てしまいますよね。だから、クリアな写真の場合、ピントが合っているものだけをとらえて、「見た、わかった」と、決着をつけてしまう可能性がある。そうすると、もう見ようとしないんです。人間の能力のすばらしいところで、困った部分でもあるのが、一回判断したものは、自動化してしまうところ。

ただ、ピントが合っていないような、ボヤッとしたイメージだと、「なんとなくわからない」から、脳がアイドリング状態になると思うんです。全部理解したとはいえないから。今後、また新しいものが見えてくる可能性があるということで。「もうわかったから、見なくていい」ではなくて、「まだわからない、見えていないものがあるかもしれない」という認識になるはずなんです。

中島 

納得です。すごくわかりやすい。それで、いわゆる「表象」ではないと感じました。よく、写真は被写体がオリジナルで、それをコピーして残したもの、という形になりますよね。だけど、荻野さんの写真は、決して、被写体の「再現」ではない。被写体よりも、写真がオリジナルであるかのように、「いま」を感じたんです。そういうのは、意識してのことなんですか?

荻野 

そこまでは意識できていないですね。どうしても、自分の写真は化石だと思っているところがあるので。自分がいたリアルな空間は、そのときの自分しか体験できません。だから、写真として撮ったものはやっぱり、化石だなって思うんです。

中島 

でも、荻野さんの写真は、化石というよりも「痕跡」ですよね。だから、生きている。痕跡はプロセスだから。

荻野 

そういうことですか、面白いですね。痕跡は死にませんからね。

中島 

これはでも、やっぱりメディアだなって感じました。現代の発想だと、何か作品を生み出すときは、頭のなかの考えや意見、イメージを落とし込むようにしていくじゃないですか。でも、それは「再現」ですよね。そうすると、作品は再現するための「ツール」になってしまう。僕、それが許せないんです。

作家は媒体、つまりメディアになって、作品がなりたいようになるための手伝いをするだけというか。作品によってつくらされているというか。そうやって生まれたものが、自立した作品なんだと思っています。だから、「私がこれをつくりました」って、自信をもって言える人の作品ほど、自立していないんですよね。

作家自身がメディアになっていく感覚って、制作中にはあっても、つくり終えてからは、やっぱり理由や意図を捏造してしまう。まあ、近年は、作家がコンセプトを説明できなければいけない、といった風潮があるっていうのも、大きな理由ではありますけどね。だから、自立している作品を見ると、うれしくなるんです。同じように、荻野さんの作品たちを見て、すごくうれしくなりましたよ。

荻野 

それは、作品たちに……

中島 

そうですよね。「ありがとうございます」と、荻野さんが言ってしまえば、矛盾になりますもんね(笑)。

荻野 

あとは、自立した作品たちに任せます、という感じで(笑)。

 


中島智

中島 智 / なかしま さとし

1963年生まれ、岡山県倉敷市出身。 芸術人類学者。造形作家。 名古屋芸術大学美術学部卒業。 1986年からアフリカ・コートジボワールのセヌフォ族や、南西諸島や中国雲南省のナシ族など各地をフィールドワーク。その間にメラネシア民俗芸術館を創設し、展覧会も企画。 名古屋芸術大学大学院、武蔵野美術大学、慶應義塾大学非常勤講師。

(2016年現在)

 

荻野NAO之

荻野NAO之 / おぎの なおゆき

https://www.naoyukiogino.jp/
東京生まれ、メキシコ育ち、京都在住。
KYOTOGRAPHIEオフィシャルフォトグラファー。
名古屋大学理学部卒業。 第一回日本写真家ユニオン大賞。

主な参加フェアー
・イギリス:Photo London (2015)
・オランダ:Unseen Photo Fair Amsterdam (2015)

主な参加フェスティバル
・ウズベキスタン:Tashkent International Photobiennale (2008, 2012 ,2014)
(招聘作家作品展、国際写真コンテスト審査員、Master Class講師)
・中国:Pinyao International Photography Festival (2007)

写真展
国内外多数(アメリカ、メキシコ、日本、他)

主な出版物
・英語版写真集 「A Geisha’s Journey」(2009)
・フランス語写真集 「Mon journal de geisha」(2008)
・日本語写真集 「Komomo」(2008)

(2016年現在)


 

トークイベント