L’arte di CIRO

2013.06.02  Ciro Cipollone 展覧会

CIRO

ロベルト・チポッローネ(CIRO:チーロ)は、1947年イタリア中部のアドリア海沿岸にあるアブルッツォ州ペスカーラで生まれました。

幼少期を父親の鋳物工場で日々過ごしたことから、自然と金属に触れるようになります。
若い頃から手工芸品や織物、デッサンや彫刻など芸術活動を開始し、表現方法を 模索し始めます。

昼間は画家の下で働き、夜間は芸術学校に通いながら、建築と考古学にも関心をもち、特に化石・発掘物研究に熱中します。生き終えたもの内に秘めた歴史を再生することは彼の感性に深く響くことになりました。1970年から6年間をオランダで工員として過ごします。

非常に単純な作業を日々繰り返す毎日は創造という行為からCIRO自身を遠ざける一方で、美しいものへの衝動を駆り立てられることとなります。同時期に、彫刻家であり金属細工師でもある人物と出会い、再び芸術に携わるチャンスを得ることになります。

 

CIRO

 

「 CIRO工房と素材 」

1977年フィレンツェ郊外に移住し1982年 には中世スタイルの工房「CIRO工房」を開き、数名のアシスタントと共に今も活動を続け、イタリアを中心に、ドイツ、スイス、オーストリア、ベルギー、ルクセンブルグでの個展にて発表を続け、多大な評価を得ています。工房には木材、鉄、岩、布の時間を持ったさまざまな素材があふれています。

いずれも人々の生活から忘れ去られたものたちであり、それらを『命豊かなもの』と捉え、素材そのものが持っている歴史を、必要最小限の方法で表現しています。明確な方針で選択された素材との組み合わせにより、そこに新たな息吹を与えています。

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「 見ることができる 」

それがCIROの創作の第一歩です。たとえ一見朽ち果てたものであってもその裏側に隠された、私達の日常に潜む美に気づかせてくれます。

どの作品にも込められているのは、物語を秘めつつ忘れ去られたものたちへの皮肉です。
場所性や普遍性、言葉遊びなどのユーモアを持ち、シンプルな神話をも表現しています。
忘れ去られたものたちの再提示は、我々を奥深い世界へ引き込んでくれるでしょう。

「 農具 」

CIROは、多くは自然や読書からインスピレーションを得ていますが、特に農具への関心が強く、それらを用いて農村風景を切り取ったものの他、生活や農村世界を象徴的に示す作品も少なくありません。

農具はそれぞれの独自性・特異性を持ちながらもその役割は世界共通であることが多く、普遍的な側面を持っています。CIROの作品は農村世界の普遍性・人物の背景までも表され、それぞれの地で生活している人々への敬意が込められているようです。

今回、日本での初公開展に際し、CIROの無垢な芸術は軽々と国境を越えました。和の設えの中に静かに現れた、彼の作品が語りかける慎ましやかな物語を多くの方に感じて頂ければ幸いです。

 

 

< L’arte di CIRO >

CIROの芸術は、無垢な芸術です。日常的で詩的、そして驚くべき現実に合致しています。それは、木のかけらなどの様々な組み合わせによって繊細な創造を表現するアイデアのまとまりです。その素材は素朴で、必要最小限で、時の流れと共に自然や必要に応じて人の手によって繊細な色を獲得してきた素材です。

結ばれた繊維のねじれ、家、城、風景、動物、様々な物の視覚効果による遠近法の構造―どのレトリックとも異なる知覚の刺激から湧き出たもの。それは貴重で先駆的な味わいのあることばによる伝達を促進するものです。

枠のない作品、額縁のない絵画、形のない形―その意義は、物同士の新しい関係性を創るために新しい背景に置かれたことにより、物の修復・再生というよりは、探究された美、物の観想をほのめかします。

新しい役割を演じながら再び生きようとする廃物の知的な組み合わせは、この作者の歩みに同行する最高の感性を表現しています。この組み合わせは、豊かさの表れであり、世界の物質的財産の廃棄と挑戦であり、命の意味と命を構成する出来事を際立たせる倫理的なアプローチであります。

多くの試みの構成に含まれた象徴―つまり清貧、謙遜、空間、観想、命―は、魅惑的な泉の神秘的なサインであり、CIROはそこで彼の精神を養っているのです。

ガブリエラ・バイロ・プッチェッティ