東日本大震災より9ケ月

2011.12.17  清課堂の日々

東日本大震災より9ヶ月が経ちました。住環境も十分でないなか寒さは厳しさを増し、福島の原発事故も終息が見えないにも関わらず震災関連の報道は減ってきています。

私たちはこの東日本大震災、震災の被害に遭われた方々のことを忘れずに、「共にある」という意思表明に伴う行動を長く続けていこう、との想いで立ちあがったボランティアチームを立ち上げ、ここ清課堂内に本部(事務局)を設置しております。

 

その頃のテレビや新聞の報道では、一筋の希望を大きく取りあげてはあたかも復興に向けて街が動き出しているような印象を抱かせるものでしたが、海水に浸された居住区、地盤沈下により海と同じ高さになっている道路、ヘドロの臭い、至る所に10mはあろうかという瓦礫の丘が点在する状景からはそのようなものは微塵も感じられませんでした。

気仙沼到着の翌日、私たちは南三陸町志津川地区に向かいました。子供たちのために特製たこ焼きを焼き、公民館にはご婦人方にお集まりいただき、「住民の方々の交流のきっかけになれば」と京都の老舗菓子店「大原女家」様と「御所飴本舗」様よりご提供いただいたお菓子、また地元の農家さんよりいただいた葡萄を囲んでお茶っこ会を開催しました。このような皆で集まる機会は震災後初めてとのこと。それどころじゃなかった、そんな気分になれなかったと聞きました。

同じく気仙沼や陸前高田市の仮設住宅にもお菓子をお届けいたしましたが仮設住宅に併設してある少し広めの共有スペース、「談話室」はあまり活用されている様子は感じられませんでした。
しかしお茶っこ会での志津川の皆さんの楽しそうな笑顔を見て、やはり人と人の繋がりなくして復興は実現できないという想いが強くなり、そのきっかけづくりをお手伝いできないかと考えました。