日本の「伝統産業」を考える

2009.03.01  コラム

突然ですが、ルネッサンス以降に流行した男性用かつら(ウィッグ)をご存知でしょうか。社交界では無くてはならない装身具のひとつで、頭を剃った上に被せる長髪のかつらです。今では、一部の法廷でしか見ることが出来ません。

 

あと、馬具。鞍(くら)に代表される、移動手段に馬が使われていた時代の皮手工品、中には芸術品と呼ばれるほどの細工を施したものも在ります。

いずれも、生活文化の移り変わりとともに興隆し、その後廃れてしまったもので、産業の一生そのものを表しています。一つは変革を起さず絶滅したもの、一つは世界戦略への転換を図りいまも生き続けるモノ。


ご存知かどうか判りませんが、現在国や行政は多額の税金を投入して伝統的手工業(伝統産業とよばれるもの)の維持を図っています。

その意思そのものは良い事だと思いますが、その手法に根本的な問題が有ることから形骸化してしまって、無駄なお金が湯水のように費やされてしまう現状があります。制度はたくさんの問題を抱えていますが、大きなものには官僚や行政マンがおこなう「認定制度」と、それから「ギョーカイ団体の主導」があることだと思います。
「伝統産業の活性化」を表向きの名目として、歪んだモノヅクリがはびこってしまいました。お上から落ちるお金に群がる伝統産業の従事者達を見ていると、公共事業におけるゼネコンと同じ行く末を案じてやみません。


日本には古くから脈々と伝わる手工業・工芸が数多くいまも残っています。しかしながらそれに携わる方々多くに欠落しているのは、それが自分達ではなく外から見てどうなのか、もしくは世界がどうそれを使うのか、という視点ではないかと思います。