寂びるということ

2006.03.21  コラム

日本人が古来よりもつ独自の美意識、「寂び」。

西本願寺灯篭を撮影:銅の寂びも大変美しいものです

西本願寺灯篭を撮影:銅の寂びも大変美しいものです

自然のまま、あるがままを受け入れるとともに、その移ろいに美を見出しました。それは、自然に打ち勝とうとする西洋の意識とは異にするものです。金属において、その代表的なものが「いぶし銀」。比喩的にも用いられる言葉ですが、年月を経て様を積み重ね老い行く過程にある、年輪の美しさ。「いぶし・寂び」の良さが解るのは、おそらく日本人だけだと考えます。

西洋の銀器(とくに食器類)は、常に磨き、光沢のある銀色を保つことを強要されます。もともと磨いて使うもので、作る段階から磨くことを想定しています。銀磨き専門の使用人が居る貴族宅もあるそう。

まったく逆に、日本の伝統的な銀器は、とくに磨かなくても良いものです。よくよく使えば、「傷」もつき「いぶし」もつきます。器が経年してまとっていくその変化そのものが美しく見えるよう、製作段階から考慮しています。「寂び」の美しさとは、傷といぶしだとも言えるでしょう。

昨今、「いぶし・寂び」の良さが受け入れられ難くなりました。「銀は色が変わるから扱いにくい・・・」「磨くのが面倒・・・」とのお声をしばしば耳にします。が、変化を畏れることはございません。どんどん使い込んで、自分流の「寂び」をつけることをぜひ楽しんでください。